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※中高年引きこもり男による、同様の事件記事を過去から京都アニメ事件まで書いています。事件の内容、事件の背景、犯人の生い立ち、社会的な要因など…こちらの総集編記事に紹介しています。ご興味があればこちらの記事まで。
大阪池田小事件とは?
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今から26年前の、2001年(平成13年)6月8日午前10時20分に大阪府池田市の大阪教育大学付属池田小学校で発生した小学生無差別殺傷事件です。
事件被害:8名の死亡(小1が1名、小2が7名)、15名の負傷者(児童13名、教師2名)
犯人:宅間 守(たくま まもる)・・・死刑執行済み
殺傷手段:包丁で刺す
●大阪池田小事件の概略
事件当日10時20分ごろ、小学校校舎内に包丁を手にした宅間が侵入。次々と児童を襲撃し、8名を殺害、15名に傷を負わせた。
宅間は、校長や別の教諭に取り押さえられ、現行犯逮捕。
宅間が最後の一人を刺し終えた瞬間、凶器の出刃包丁を自ら落として「あーしんど!」とつぶやいたとの記録。
逮捕・起訴当時は精神障害を装った言動をしていたが、結局は責任能力ありと判断され極刑を科せられた。
動機:社会への憎悪
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大阪池田小事件の犯人、宅間守とは?
●宅間守の生い立ち
1963年11月23日に生まれる。
幼少時からたびたび問題行動を起こしている(3歳で三輪車に乗り国道の中央を走り渋滞させる等)
・小学校入学~
「いじめられっこ であり、いじめっこ 」でもあった。性格は粗暴。
猫などの動物を新聞紙に包んで火をつけて殺害
自衛隊に強い関心を抱いており、独りで軍歌を歌っていた(高校時代まで続く)
・中学入学~
好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた
・高校
尼崎市内の工業高校を2年で中退
・中退後~
ガソリンスタンドのアルバイトを経て、18歳の時航空自衛隊に入隊するも1年強で強制除隊となった。理由は、家出少女を自室に下宿させ性交渉した為。
・自衛隊除隊後~
1年間のうちで、運送会社などを十数社で転職を繰り返し、家庭内暴力・外での傷害や暴行などに走り、高速道路逆走などの非行を行うようになっていった。除隊から1年後、マンション管理会社に勤務していたときに、家賃の集金と称して女性の部屋に上がり込み、強姦事件を起こした。このあと精神科を受診し入院するも、5階から飛び降りて重傷を負う。
この強姦事件で懲役3年の実刑判決を科せられ1986年から1989年の3年間奈良少年刑務所に服役。出所後実父から勘当されている。
・30歳~
非常勤の地方公務員になり、市営バスの運転手やゴミ収集、小学校の用務員などを務めたが、バス運転手時、女性乗客に言いがかりをつけ、トラブルを起こし懲戒処分を受けている。
以降、職を転々とするものの、暴行事件などを引き起こしたため長続きせず、2000年末頃から最終的に池田小事件で逮捕された当時無職であった。
●宅間守の家庭環境
宅間の父親は、家族全員に対して激しい暴力で接していた。
そんな父親を宅間は激しく憎悪し、のちの供述では、寝ている間に包丁で刺殺してやろうと何度も思ったことがあるとのこと。
宅間の母親は、家事・育児が苦手であり、家事のほとんどは父親が担当し、一種のネグレクト状態であったと指摘されている。
宅間を身ごもった時に、「これはあかん」「おろしたい」と語っていたと父親の供述。
宅間は受験勉強しているときに母親から「お前なんか産まれてこなければよかった」と罵詈雑言を浴びせられたと、押収された自身のノートに記載していた。
宅間は両親に対して、「ヤクザを使ってお前らの生活を滅茶苦茶にしてやる」「死ぬまで苦しめてやる」と語っていたとの供述。
宅間には実兄が一人いたが、破綻した実弟宅間守の存在に心を病み、小刀で首を斬って40台前半時に自殺。
宅間の母親も長期にわたって心を病み、精神病院に長く入院し、2016年末に死去。父親は事件後酒乱となり入院しているが、獄中にいた宅間守は「宮崎勉の父のように自殺してほしかった」と述べていた。
まとめ
今回は、ネットの記事から、主に裁判に使用された供述書の内容等を拾い集めてみました。
犯人の宅間守は、結局被害者や遺族に一切謝ることなく死刑を受けてしまいました。
そして独居房の中の宅間守は、自身の人生に対する恨み・社会に対する恨みや苦悩を手紙等に記していたようです。
酷い犯行を切り離して、宅間守の人生を見ると、一定の同情の余地があると思います。
しかし、罪は罪であることも。
自分が被害者、遺族だったら・・・。
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