都会から出る人は危険-平成の八つ墓村事件-にみる地方移住のリスク

この記事は、前回の記事が読まれていることを前提に書いています。

↓前回の記事

『緊急!都会の人、8/5のNHK深夜は視た?地方移住の怖さがわかる』

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※ 中高年引きこもり男による、同様の事件記事を過去から京都アニメ事件まで書いています。事件の内容、事件の背景、犯人の生い立ち、社会的な要因など…こちらの総集編記事に紹介しています。ご興味があればこちらの記事まで。

『中高年引きこもり男の事件簿。京アニ事件までのまとめ。各記事入口』

目次

本年7/11に、最高裁で死刑判決確定

なぜ平成の≪八つ墓村事件≫とよばれるのか

八つ墓村事件

「津山事件」とは

なぜ犯人に同情する?

周南市、限界集落5人殺害事件の保見光成、生い立ちから…

裁判の争点

保見光成死刑囚とは?

中学卒業~都会生活~両親介護のための帰郷

裁判で明らかになったトラブルとは?

事件のあった地区は、どんなとこ?

※限界集落とは

保見光成死刑囚が抱いた、近隣住民への恨みとは・・・

保見死刑囚が訴えた、近隣住民からのイジメ

保見死刑囚を差別した集落

保見死刑囚を慕う住民の証言

保見死刑囚が語る、都会と田舎

保見死刑囚が、今でも覚えているという恫喝の言葉

保見光成は故郷でどう生活すれば良かったのか?

保見光成の知人の証言(保見と同じくUターン移住者)

早く村を出れば良かった

逃げなかった保見死刑囚

まとめ

本年7/11に、最高裁で死刑判決確定

状況証拠と自白によって起訴された保見光成(ほみ・こうせい)被告。

裁判では結局最高裁までいきます。

そして弁護団は最後まで無罪の主張でした。

根拠は①物理的証拠がないこと、②精神鑑定により責任を問えない、の二点が無罪主張の根拠でした。

精神鑑定は二度行われていますが、白黒つく鑑定内容ではなかったことが無罪主張の現因なっています。

無罪主張している弁護団ですが、保見光成被告と信頼関係は最初から構築できていなかったようです。

保見光成被告の「誤解されやすい」性格な点が要因のようで、保見光成被告もそれは仕方ないと受け止めているようですね。

保見光成被告が唯一こころを開いたのが、清泉亮氏で、私がこの記事を書いている内容のベース記事を執筆された方です。

※清泉亮氏の著作物(東洋経済新報社刊)

『誰も教えてくれない田舎暮らしの教科書』

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なぜ平成の≪八つ墓村事件≫とよばれるのか

八つ墓村事件

『八つ墓村事件』とは、横溝正史のヒット小説『八つ墓村』から取られています。

ご存じの主人公金田一耕助が活躍する推理小説です。

テレビシリーズ、映画化もされていますよね。

ストーリーの基調は暗く、ややホラー気味で推移し、山間部の僻地で起きる連続殺人事件(八つ墓村事件)のベースには、実際に岡山県で起きた「津山事件(津山三十人殺し)」が使われています。

「津山事件」とは

太平洋戦争中の昭和13年、5月21日未明に岡山県津山市加茂町行重(旧:芦田郡西加茂村大字行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。

犯行は2時間足らずの間に30人の殺害が行われ、犯行後に犯人が自害したため、被疑者死亡で不起訴となった事件でもあります。

いま記述前に『八つ墓村』よりも、事件の事実に詳細な『丑三つの村』という作品のビデオを観ました。

映画『丑三つの村』(ユーチューブ)

1時間半ほどの作品ですが、若かりし頃の古尾谷雅人、田中美佐子が主演を務めています。

最後はなんとなく青春映画の一端をのぞかせるような作品になっていますが、津山三十人殺しを、実際の証言に基づいて描いているということです。

犯人の屈折してしまったが故の恨みで、凶行に及んだわけですが、同情してしまいます。

そして、ここで記してはいませんが、地域に住む住民が守らなければいけない不文律の存在などが、セリフとして散りばめられています。

怖いのは、これら劇中でセリフとして出てくる不文律、まだ今の時代でも息づいているんですね。

冷静に聞いていると、え、ここは日本じゃないの?」

という感覚になりますよ。

ホント、これらの村有力者やおばあさんの言葉は、今の時代でも口にされているんですよ。

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なぜ犯人に同情する?

ここがポイントです。

山口県周南市の5人殺害を犯した保見光成死刑囚との共通点…閉塞した村社会の中での、近隣住民からの『いじめ』です。

岡山県で起きた津山事件では、犯人が肺結核の診断をされ、村の中で村八分状態にされたことによる『いじめ』が原因の恨み犯行だったんです。

戦争中だった当時は、結核は不治の病であり、話しているだけで移るといわれていました。

今でいうエイズみたいな扱いだったんでしょうね。

エイズの存在が発表された時の世間の反応は凄かったですからね。

今ではエイズも発症を抑える薬の開発が進んでいますが。

そして、この閉そく感漂う過疎地域での村八分からの恨み犯行が、保見光成死刑囚による周南市5人殺害事件と同じなんです。

だから、平成の≪八つ墓村事件≫といわれるんですね。

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周南市、限界集落5人殺害事件の保見光成、生い立ちから…

裁判の争点

一審から最高裁まで、保見光成の犯行時の責任能力が争点となっていました。

その一方で、保見死刑囚が5人を惨殺した動機については、全容が明らかになったとは言い難いのです。

事件直後から、集落をあげてのイジメがあったとの報道は少なくなかったのです。しかし、公判では認められず、イジメはなかったとの結論に達しています。

私見ですが、閉そく感漂う過疎地域の慣習など、裁判官には理解できなかったと思われます。

現場は過疎化が進み、いわゆる「限界集落」とよばれる地域です。

住んでいる人は限られ、人間関係が濃密な空間になっていたことが想像できます。

イジメなど無かった、とすれば、なぜ保見死刑囚は5人を選んで殺害したのかという直接的な動機が失われてしまいます。

保見光成死刑囚とは?

保見死刑囚は、多分に誤解を受けやすい人物のようだと、先に述べた清泉氏は語っています。

清泉氏のところに保見死刑囚本人から手紙が届いたのは2016年8月だったようです。清泉氏が選ばれたのは、保見死刑囚が彼の著作物を読んで、真面目そうだからという理由だったみたいです。

保見死刑囚は清泉氏との手紙のやり取りを通じて、生い立ちから犯行時までを詳細に物語っています。

中学卒業~都会生活~両親介護のための帰郷

中学卒業と同時に上京して集団就職。土建業に従事。

30代のころからタイル職人(左官業)として神奈川県川崎市に居住。結婚歴なし。3

0年がたち、両親の介護の為に周南市に帰郷。

すでに限界集落になっていました。

保見死刑囚が43歳の時でした。

それからは毎日両親の介護の日々となります。

「両親とも認知症です。そのほか色んな病気がありました。父に一番苦労しました。耳が聞こえません。ジェスチャーだけです。手を抜くことはできません。母は痰を吸引しなければいけません。眠れませんでした。昼にデイサービスが来るので、その間だけは寝ていました。もちろんおしめも換えます。慣れると簡単です。洗うことはありませんから」

「毎日病人と一緒だと、私自身、他人の手を借りてまで生きようとは思わなくなりました。それと私は若い時から、死ぬ時は田舎で、と思っていました。両親を看取って、75歳くらいまで生きたら、父親の生まれた近くで穴を掘って入ろうと思っていました」

左官の技術を生かし、自宅を建築。

地元テレビ局に取り上げられたり、近隣の家の修繕などもしていたが、本人の気難しい性格が災いし、両親との死別後は地区住民とのトラブルが相次ぐようになっていました。

裁判で明らかになったトラブルとは?

●農薬散布のトラブル・・・

保見死刑囚が近所に家の裏で勝手に農薬や除草剤をまいている

●草刈り作業のトラブル・・・

保見死刑囚はあぜの草刈り作業にあたって、地域で一番若いという理由から、機械や燃料の費用などを全てひとりで負担させられた上に、地区住民がその機械を草と一緒に燃やし、焼失させてしまったことについての謝罪もない仕打ちを受けていると知人に漏らしていた。

実際、保見死刑囚が燃やした住民に抗議したところ、「あれ、あんたのもんだったの?」と笑われたという。この住民は被害者のひとりである。

●飼い犬をめぐるトラブル・・・

保見死刑囚が最初に飼っていたいた犬が原因不明で死去。突然死であったという。

次に飼い始めた犬に対し、地区住民が「クサイ」と苦情を言ってトラブルになり、住民に「地を見るぞ」「殺してやる」と保見死刑囚が大声をあげていたという。

●その他保見死刑囚が周囲から受けたというトラブル

・「寝たきりの母がいる部屋で母のおむつを交換していると、お隣さんが勝手に入ってきて、『ウンコくさい』と言われました」

・「お隣さんは、自分の運転する車の前に飛び出してきたこともあった」

・「犬の飲み水に農薬を入れられ、自分が家で作っていたカレーにも農薬を入れられました」

・心臓付近を刺されたことも。

⇒今事件の被害者のひとりに、牛刀で刺され、病院で治療を受けています。その後、警察の聴取で「相手も自分が悪かったと言ってるから、おおごとにするな」と。加えて「これからあなたも田舎の人と付き合って行かなければいけない、仲良く暮らして行くように」と言われたのでした。

事件のあった地区は、どんなとこ?

周南市の中心駅(徳山駅)から約16キロ離れた山間部に位置する集落で、事件直前の人口は8世帯14人(うち高齢者10人)。携帯電話が利用できない限界集落であった。

2019年5月現在では5世帯8人(うち高齢者6人)となり集落の存続が危ぶまれている。なお、携帯電話の電波状況は現在も改善されていない。

※限界集落とは

過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭などを含む社会的共同生活や集落の維持が困難になりつつある集落を指します。日本独特の概念のようです。

高齢者が中心となった集落では、子育て世代や中年以下の転入が存在しないか、極めて少ない状況が続くと、住民の死去や転出に伴い集落の維持が難しくなり、無人化します。(ウィキぺデイアより)

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保見光成死刑囚が抱いた、近隣住民への恨みとは・・・

裁判の中では、「被害妄想」と一蹴して片づけられています。

保見死刑囚が訴えた、近隣住民からのイジメ

都会で施錠しない家は稀です。

しかし、田舎ではカギをかけないどころか、窓をカーテンで覆っただけで不興をかうこともあります。

「カギなんかかけやがって」

「カーテンなんかしやがって」

と強烈な陰口をたたかれるようですね。

その方々は都会での生活をおくったことがないのです。

戸締りを厳重にし、カーテンでプライバシーを保護することは、田舎では『隣人を信用しないサイン』とみなされてしまいます。

だから、他人が突然、無施錠の玄関を勝手に開けて家の中に入り、居間に突然現れることは決して珍しいことではないのです。

保見死刑囚の「自宅に勝手にあがりこみ、おむつの件で母親と自分に暴言を吐いた」という証言は、都会で生まれ育った裁判官や裁判員には妄想虚言と映ったのではないでしょうか。

保見死刑囚は、こう繰り返し言っています。

「死刑になるのは、さほどこだわってはいません。ただ、負けるわけにはいきません

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保見死刑囚を差別した集落

保見死刑囚を慕う住民の証言

保見死刑囚は地元で、高齢者が住む家のリフォームを請け負ったり、頼まれれば高齢者を車に乗せ、買い物に付き合ったりするなどしていました。そのため、逮捕後でも密かに彼を慕う高齢者がいるようです。

「保見さんには助けてもらっていた」という老女が、インタビューする清泉氏に以下のことを語ってくれています。

「保見さんが裁判で主張した嫌がらせは、すべて本当のこと。集落の人から刃物で切り付けられ、胸に大きな傷を負った時も、私は『殺人未遂でしょうに。なんで警察に行かんの』と言ったくらい。集落でイジメられて、カレーを食べて苦しくて死にそうになったことも聞いています」

「保見さんが言っていることは、全部本当ですよ。集落の者もわかっているはずです。でも誰も口には出さんでしょうけどね。保見さんが住んでいた金峰地区だけではなく、あの集落はどこでも、後から来た者はみんなイジメられている。やっぱり保見さんは親が亡くなったら、さっさと集落を出るべきだった・・・」

保見死刑囚の親族は、彼の献身に現在でも感謝の念を忘れないようです。

「父親は肩の骨が折れたりもして、歩けないことはなかったけど、心臓のほうも悪くなっていた。母親も足が悪く、身体がままならない。誰かが介護しなければというところに、アレが『じゃあ自分が』と帰ってきてくれて面倒を見てくれることになった。アレが両親を見てくれたから、兄弟はみんな働いたり、どこにでも行けたりしたんです」

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保見死刑囚が語る、都会と田舎

故郷での差別やイジメについて保見死刑囚は次のように清泉氏に手紙をおくっています。

私の場合は、よそ者扱いとか無視されるとかではありません。(私は無視された方が生活しやすい)

私は地元の人に迷惑をかけないから、みんなも迷惑をかけるな、と話したこともあります。

私が酷い仕打ちにも黙っていたから調子に乗ったってことでは?

田舎を捨てて出て行った人間が帰ってきて出しゃばるな、こんなことだと思います。

しつこい嫌がらせが続きました。それにしても、命まで危なかった。犬も殺された。

保見死刑囚が、今でも覚えているという恫喝の言葉

「わしの言うことが聞けんかったら、田舎では生きちゃいけんどー」

この文言は、全国共通の言葉なんですよ。

筆者である私も浴びせられたことがあります。

いったい、ここはホントに日本なのか、法律は?

と思いますよ。

都会から田舎に入って、異議を唱えるのはすぐにでも出ていく覚悟がなければ口にしてはいけません。顔に出してもダメです。

保見死刑囚いわく、

田舎の人は無神経です。都会の人は無関心です。私は都会に長く居過ぎた・・・

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保見光成は故郷でどう生活すれば良かったのか?

保見光成の知人の証言(保見と同じくUターン移住者)

「殺された者の名前を聞いて、ああ、やっぱりな、やっぱりやられたか、と思ったよ、正直」

俺みたいにあくまで下手下手に出て、要はゴマすって生き続けるしかねーんだよ。こういうところでは。ここじゃあ、人間関係は上か下かしかねーんだから。『あなたがいなければ』『あなたがいてこそ』って声を掛けなきゃ。でもそこまでやったって、向こうが挨拶を返してくれるかどうかもわかんねえ。その時の向こうさん次第だ。でも、とにかく向こうが気付く前に、こっちからゴマすって、挨拶をしなけりゃダメなんだ。保見はそれができないから、嫌われたんだよ。ゲートボール場とかでも言われてたんだよ。いろいろ噂して。だから殺された者を見てね、ああ、やっぱりな、と思ったわけよ」

「俺だって、犬2匹、やられたからな…」

「俺もよ、いつ手縄がかかることになっちまうことをしかねないか、わかんねえからな。俺だって、明日は保見死刑囚と同じになっちまうかしれねえ」

保見死刑囚は、決して無差別に殺戮を犯したわけではなかった。

イジメに加担しなかった家はスルーしている。

被害に遭っていないのだ。

これは『津山事件』の犯人の行動と同じである。

早く村を出れば良かった

2018年、拘置所にいた保見死刑囚のもとに、彼がかつて住んでいた神奈川県川崎市に住む11歳の少年から手紙が届いている。授業で、戦後の集団就職を学ぶ中で事件と保見死刑囚のことを知り、手紙を送っていたのだ。

≪高度経済成長を支えて、今ある豊かさを創った保見さんのような人が、なぜ故郷に戻って悲しい想いをしなければならないのかわかりません≫

保見死刑囚はこう返信した。

≪私は、故郷を捨てた者とされてしまったということです。それに気付いた時に、早く村を出るべきだった≫

夏休みを利用して、広島の拘置所に保見死刑囚を少年が訪ねてきた。その際に、保見死刑囚はこう話している。

もしイジメにあったら、逃げろ。逃げるんだよ。それが勇気なんだよ。逃げることは恥ずかしいことじゃない。逃げる勇気が大事なんだよ。君はいい目をしている。立派に生きるんだよ」

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逃げなかった保見死刑囚

保見死刑囚は逃げなかった。

そして今、獄中にいる。

家計を助けるために集団就職で都会に出た世代が、懐かしきふるさとに戻った時、「故郷を捨てた者」とみなされて、謀反者のように扱われてしまう。

これに気付いた時、保見光成にとってふるさとは絶望の地となったのかもしれない。

まとめ

生まれ故郷への、素晴らしい風景の広がる農村への移住を考えていた人たちにはショッキングな事件詳細ではなかったかと思います。

まだ書き切れなかったことがありますので、それはまた次の記事にまわします。

次の記事のアップ予定は8/10です。

タイトル名危険!怖すぎる、都会から地方への移住。憧れの田舎生活の現実と闇

なお、今記事のベースになっているのは、ウイキぺデイアと、たびたび名前だけ出していますが清泉亮氏の取材記事です。それと、私自身の全国転勤・出張の経験です。

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